その5

ヘキサな刑事・羞と心
(その5)



「『容疑者』が多すぎて絞り込めませんねぇ」
ユースケの答えは冗談ではなく、まさに言ったとおりの意味だ。
巌松には黒い噂が多すぎた。
オレとユースケとナオキがドジを踏んで、ホシを逃がしてしまったときも
現場の「もぬけの殻」状態はあまりにもタイミングがよすぎていた。
「捜査機密の漏洩」
公然の秘密だった。
しかし、誰もそれが巌松の仕業だと立証することができない。
立証できたとしてもそれを「上」にご報告するような殊勝なヤツはいないだろう。
巌松がここで安泰にしていられるのは、「上」に守られているからだ。
そして「上」にはヤツを守る必要がある。
「持ちつ持たれつってヤツっすか、あ~腐ってる!」
ユースケはゴミ箱を蹴飛ばした。
「つる兄、あったま、こないんすか?」
返事をしないオレがさっきからケータイをかけていることに気づき
「ユキナちゃん、連絡つかないんすか、あれから」
と尋ねた。
今朝店を訪ねると、彼女は店を辞めたと同僚の女の子は言った。
店長に電話一本でそれを告げたまま。
昨夜の今朝だ。
胃の辺りがシクシクしてきた。
「つる兄、あのコは大丈夫だって言ったじゃないすか」
それを言われると痛い。
オレは楽観すぎたのだろうか。
ナオキを、いや、ナオキらしい男を見た、ということはそれほどのリスクだったのか、巌松にとって。
だが、事情を知らない彼女をどうにかするメリットなどないはずだ。
そもそも、「どうにかした」のが巌松だとは、「交通事故の被害者」になったことで可能性がほとんどなくなった。
「そもそも巌松は彼女に会ったのか?」
「え?なんすか、それ」
同僚の女の子もユキナが警察官とあった現場なぞ見ていない。
迎えにいくと言われたという彼女の言葉だけだ。
「待ってくださいよ~!」
ユースケはくしゃくしゃと髪をかきむしり始めた。
「やめてくれ、フケが落ちる」
「ボクは毎日シャンプーしてます!」
「そりゃ、けっこうな習慣だ」
彼女は逃げたのかもしれない。
考えてみれば不自然な電話なのだ。変に思ってもおかしかくない。
「でも、小島が電話したのは間違いないですよ。あんなタイミングでできるのはアイツしかいない」
「そうだろうな、でも店には行ってない、いや、行けなかったんだ」
「途中でクルマに轢かれちゃったってことっすか」
「そうだ、途中でなんかあったんだ。小島にとっても青天の霹靂だったろうな。
小島は巌松の腰ぎんちゃくだ。小島が巌松のおこぼれを頂戴してるんだろうぐらいは想像つくだろ?」
「そうですね、安いヤツだっ!」
ユースケは思い出してはいちいち腹を立てる。わかりやすい。
少し笑いそうになったが、自重した。
「巌松の「交通事故」は予想外だった。しれっとした顔をしていたが内心、相当、動揺してるはずだ」

「で、誰がやったと思う?つる兄」


「おまえ」

オレはうんざりして叫んだ。

「振り出しに戻すんじゃねぇっ!」
ユースケは半ば本気で逃げ出した。



                       *



「仲間を尾行するなんてあんまり気持ちいいもんじゃないっすね」
ユースケはそれでも小島のことを仲間とは認めているようだ。
オレたちは正攻法で行こうと決めた。
相手の腹を探り合うなんて芸当はふたりとも苦手なのだ。
もっともそれが苦手な刑事は転職したほうがいいのかもしれない。
小島が行き着いた先には古い病院があった。
「合田総合病院・・・・か」
「名前は立派だけど、なんかオレ、かかりたくねぇなぁ、この病院」
ユースケの言うことはわかる。
家人が居なくなり相当時間がたった家屋のうら寂しさと同じ雰囲気がする。
「ここに巌松がいるのかな」
「他に用事があるか?小島が持病を持ってるんなら別だが」
「踏み込みますか?」
「無粋なヤツだなぁ。見舞いって言えよ。」
「それなら花束のひとつも持ってこなきゃぁ。気がきかないっすねぇ、先輩」
このやろー。
「行くぞ」
オレが一歩踏み出したそのとき、肩を掴まれた。
条件反射で次の行動に移ろうとしたが、それより先に軽々と封じ込められてしまった。
くそっ!
誰だ?
巌松が「便宜」を図ってやってるヤツらか?
それとも身内か?
そうか、巌松はもういらなくなったんだ。
むしろ、居てくれては非常にやっかいな、めんどうな、人間になってしまったのだ。
これはいわば監禁だ。
どんなドジを踏んだんだ?巌松。
この病院にも、どんな姿でいるのかわかったものじゃない。
「尾行されてることに気がつかないデカというのも情けないもんだな、修行が足りんぞ」
その声は、たった今オレが想像したことがそのまま現実になったとしても、それ以上に驚愕に値するものだった。

「おやっさん、どうしてここへ?」
ユースケもクチをあんぐりと開けていた。
「相棒が危険に晒されてるときに、なにをボケっとしてた、ユースケ」
そう言いながらおやっさんは笑っていた。
半年前、別れ際にオレに「そんなに怒るな」と言って見せた笑顔と同じだった。
「巌松は療養中だ」
「おやっさんまで悪い冗談につきあわなくてもいいですよ」
「ほんとに療養中なんだ。昨夜、車に刎ねられた」
オレはため息をついた。
「はいはい確かに建前はね。おやっさん、この件になんで首つっこんでるんですか?」
「今日、署に寄ってきた」
「なんでまた」
「島田の遺体を引き取りにきたんだ。解剖はもう済んだんだろ。人並みに荼毘にふして葬式も出してやりたいじゃないか」
おやっさんの言ってることはますますオレたちふたりの脳みそをかきまわす。
そうでなくても、許容量はとっくにオーバーしてるんだ。
いい加減にしてもらいたい。
「意味、わかんないっす」
ユースケが明快にオレの混乱を解説した。
「島田はな」
おやっさんは声をひそめた。
なにを言っても驚くなというたぶん、サインだろう。
だから、オレたちはそのサインに頷いた。
「大阪府警のデカだった」
来たボールはとんでもないピンボールだった。
どうやってミットに収めろっていうんだ。
ボールはオレたちの頭のはるか上に飛んでいき、追いかけるという気力さえ放棄させた。
しかし、それはどうやら事実のようだった。

(つづく)





© Rakuten Group, Inc.